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| 立野駅スイッチバック |
| このページ、その3は、南阿蘇鉄道と阿蘇山の地理の話題の後半です。 前回は、南阿蘇鉄道で阿蘇カルデラの南半分を東から西へ横断し、西の外輪山の低くなっている部分で、外輪山から出ようとしている所まで記述しました。 このページでは、外輪山から出るところにある立野駅(南阿蘇鉄道とJR豊肥本線の接続駅)のことを中心に説明します。 |
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| ※ | 上の地図は、グーグル・アースより(Google Earth home |
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高森駅を14:44に発車した南阿蘇鉄道のレールバスは、戸下トンネルと古い鉄橋を渡って、白川の渓谷に沿って、1500m程走って、終点の駅立野に到着しました。ここが乗換駅です。実は、予習が足らなくて、この駅が有名な駅だというのを、駅について様子を観察するまで気が付きませんでした。 こういうことです。 南カルデラを回ってきた南阿蘇鉄道と北カルデラを回ってきたJR豊肥本線が合流するのですから、普通は右図のような位置関係を想像します。 |
| ところが、レールバスは、その最前部に乗っていて、写真撮影のために左右・前に注意を払っていた私の視線に豊肥本線の線路が入らなかったにもかかわらず、駅の一番北側(山側)のホームに入線したのです。 つまり、上の図でいう、立野駅の東側に豊肥本線線路がなかったことになります。 あわてて、ホームに出て、確認しました。 ひょっとしたら、この駅は・・・・。 (写真は立野駅一番北側のホームに入線する南阿蘇鉄道のレールバス。前方に止まっているのは、トロッコ列車の機関車です。よく見えません。まずい写真でした。) |
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しかし、実際には、立野駅周辺の路線図は、右のようになっていました。つまり、この駅は、全国に13カ所しかない、勾配を緩和するためのスイッチバック方式になっている鉄道線路のひとつだったのです。豊肥本線は、駅の西で、2段階でスイッチバックして、勾配を上っていくのでした。 下の写真は、駅周辺の航空写真です。 1976年4月と古い写真ですが、鉄道線路は今も昔も同じです。かえって、家が少ない分、線路の位置がよく分かります。 読み取れますでしょうか? |
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この3枚の写真は、私が乗り換える、立野15:20発熊本行きの普通列車です。 もちろん、阿蘇北カルデラの宮地という駅が始発で、カルデラを東から西へ回ってきたのですが、上図で分かるとおり、立野駅の北側の標高の高い部分をいったん西に通り越して、スイッチバックして、また、戻ってきて、西側から入線してきたところです。 その列車の説明写真であるとすると、下の2枚は、何を撮影したものか分かりますか? |
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| 左の写真は、上の写真の先頭車両の運転手さんが、運転レバーを持って、これから車外に出るところです。 そして、ホームをとことこ歩いて、右の写真では、これまでの最後部車両、これからの先頭車両に乗り込むところです。 |
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発車を待っていると、熊本から大分・別府へ向かう、「九州横断特急6号」がやって来ました。 特急が通過している部分が、この駅のスイッチバックの部分です。 線路がどんな風になっているかおわかりでしょうか? |
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実は、こうなっています。 左が、山を下って熊本へ向かう線路、右が山を上がって、阿蘇カルデラに向かう線路です。 本当は、この上にもある線路部分や、駅の上側を通過する列車の写真が撮影できれば最高だったのですが、予習が足りずにできませんでした。 残念。 |
| その代わりといえば何ですが、地歴公民科の教師らしく、なぜ、スイッチバックが必要なのかを、下の鳥瞰図を使って、説明します。 阿蘇の西側の外輪山は、立野の手前で、わずかに切れています。この地域を「立野火口瀬」と呼んでいます。 この狭い部分を、黒川と白川の二つの河川、豊肥本線と南阿蘇鉄道の二つの鉄道、そして、国道325号線が通っています。 豊肥本線と南阿蘇鉄道とでは、もちろん、豊肥本線の方が早く建設されています。 この谷に、どうして、スイッチバックが必要だったか、考察してみましょう。 当然ながら、そのまま真っ直ぐ鉄道を敷設すると、坂が急になってしまうから、スイッチバックにしたことは当たり前です。そこがこの谷の場合はどのようになっているかです。 はじめに、鉄道の場合、どのくらいの勾配まで耐えることができるのか、他の地域のデータから確認します。 現在、日本の鉄道で最も急な勾配は、大井川鉄道の井川線の90パーミルです。パーミルというのは、1000分率で、1000mの間にどれだけ標高差があるかを示した数値です。 井川線には、1000m行くと、90m上るところがあるわけです。現に存在しているのならそれぐらいの坂は登れるのかというと、それは違います。 井川線は、勾配を登るため、アプト式を採用しています。機関車の下部にあるギアと、線路のギザギザを咬み合わせて登る仕組みです。 このアプト式は、以前は、信越線の碓氷峠にも採用されていました。馬力のある電気機関車が登場してからは、アプト式は廃止になって、前から機関車で引っ張るのに加えて、後ろからも機関車で押すという方法で、峠を越えていました。(この路線は長野新幹線開業後は廃線) この碓氷峠の勾配が、最大65パーミルでした。 電車が支障なく登れる坂として、現在の日本では、おおむね35パーミルまでを限界として路線の設定がなされています。 ところが、立野火口瀬は、そんな緩い勾配の線路は、普通なら敷設できませんでした。 下の地図をご覧ください。 ピンクの豊肥本線の場合、立野火口瀬の入口の、外輪山の北側部分(黒川の谷の上)と、立野駅のある場所の標高差は、約130mあります。 この間の距離はというと、約2kmしかありません。 つまり、普通に、線路を敷くと、130÷2000=65、つまり65パーミルの急勾配となります。普通ならアプト式を採用でもしない限り無理な勾配です。 |
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| ※上と同じ「カシミール3D」を使って描きました。川や鉄道路線は概ねのもので、あくまでイメージ図です。 |
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| 赤い電車が登っている、この坂で、カシミールを使って、標高差と距離を計測すると、標高差10m÷距離170m=59パーミルです。(各務原市内の名鉄電車羽場駅東の各務ヶ原台地の坂。)短い坂ですがかなりの急坂で、電車はゆっくり登っていきます。 角度的には、写真の斜面を分度器で測ると、3.5度ぐらいですか。 三角比のtan3.5°=0.0616ですから、大きな誤差はないですね。概ねあっています。 ただし、名鉄電車の表示は、もっと手前の緩い坂の部分も含んで計算されていますので、33.3パーミルとなっています。それでもかなりの坂です。 |
| Hの位置まで駅をずらしたとしても、標高差(C−H)205m÷距離3000m=68パーミルとなってしまいます。 立野火口瀬の西の出口も狭隘で、白川上の標高243mの細い部分を抜けていかなければなりませんから、Hの位置では、Eに向けてまた上らねばなりません。 この結果、2段階のスイッチバックが必要というわけです。 スイッチバックの結果、勾配は次のように緩いものとなりました。 C→Aは、標高差105m÷距離3000m=35パーミル。 A→@は、標高差 36m÷距離1000m=36パーミル。 見事な解決方法です。以上、豊肥本線の立野駅西のスイッチバックの説明でした。 |
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豊肥本線は、白川の右岸(北側)を通ります。 左岸、南側には、風力発電用の風車がいくつも並んでいました。 外輪山の隙間を吹き抜ける風を発電に利用しようというわけです。 |
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立野駅15:20発の普通列車は、15:35、肥後大津駅に到着しました。 ここは、熊本空港の最寄りの駅です。ここで下車です。 熊本からここまでは、電化されていて、左の赤い電車(熊本発肥後大津行き、つまりこの駅止まり)が走ってきました。 阿蘇北カルデラの宮地駅から山を降りてきた白い列車は(私が乗っていた列車)、2両編成のディーゼルカーです。 |
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熊本空港のターミナルビルです。 右手の白いビルの上に小さく風車が見えます。 右手の外輪山と、左手の外輪山の間から、山を降りてきたことになります。 遠くに、ぼんやり、阿蘇の山本体が見えます。 熊本空港発18:30のANAで、無事かえってくることができました。 学校訪問+九州横断の有意義な出張となりました。 |
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