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| 現代熊野信仰、山や木や神について思うこと |
| 結びに |
| 熊野三山の信仰が、深い山々と森に対する信仰であると確認できたら、さらに加えて、もうすこし、触れておきたいことがあります。 一つ目は、日本人の意識にある森とはどういうものかということです。 二つ目は、熊野詣が日本人のアイデンティティとどう関わり合うかということです。 ちょっと難しい内容ですが、熊野古道探検記の結びとして、書き加えます。 |
| 日本人の意識にある森 |
| 熊野古道周辺の森 |
| 熊野古道は、世界文化遺産登録にともなって、地元の自治体やNPOなどの努力によって急速に整備が進みました。 1990年代前半までは、草刈りをしながら進まなければならない道もずいぶんあったと聞いていますが、今はそんなことはありません。 しかし、整備された古道と、昔の古道をもし比較するなら、実は大きく異なる点があります。 |
| 写真@ | |
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左の写真(@とします)は現在の熊野古道「中辺路」大雲取越、小口−越前峠間の登り坂です。 下の写真(Aとします)は、デジカメ2枚の合成写真ですが、同じ「中辺路」大雲取越、舟見峠−青岸渡寺間の古道から、那智山・烏帽子山方面を撮影したものです。遠くはよく分かりませんから、右手直近の山や、中央手前の山に注目してください。 もう1枚下の写真(Bとします)は、青岸渡寺から撮影した那智の滝の東にある那智原始林です。 |
| 写真A |
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| 写真@・Aと、写真Bは、森の様子が明らかに異なっています。 江戸時代の熊野詣での旅人も見ることができた風景は、写真@・Aと写真Bのうちどちらでしょうか?また、何が違っているのでしょうか? |
| 写真B |
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家に無事帰って、パソコンで、デジカメ写真を見ながら旅を振り返ると、また、新たな勉強もできるものです。
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| 昔の熊野の森 | ||||||||||||||||
| 今は、結構たくさんの割合で人工林(植林された杉・檜林)に覆われている熊野の山々ですが、昔は、どのようになっていたのでしょうか。 2つの文献から、その様子を確認します。(例によって、太字や色つき文字、行間空けは、引用者が施しました。)
熊野の森は、主に常緑広葉樹林(照葉樹林)で覆われた、深い暗い、そして神秘的な森でした。 |
| 日本の東西樹林相の違いは、中尾佐助の「照葉樹林文化」を発展させた、佐々木高明の「ナラ林文化と照葉樹林文化」に示されています。 これによれば、縄文中期以降、東日本の植生は、ブナ・ナラ・トチなどの落葉広葉樹林が中心となり、西日本は、カシ・シイ・クス・ツバキなどの常緑広葉樹林が中心となりました。(常緑広葉樹は、葉が厚く、表面に光沢があるため、照葉樹林という別名があります。) 照葉樹林文化については、中国の雲南を中心として、西はインドのアッサム地方から東は長江南部地域にまたがる「東亜半月弧」と呼ばれるエリアがあり、これが日本も含めたこの文化のルーツであるとされています。 照葉樹林文化については、項目を改めて、説明します。
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上の「東西日本の樹林相の相違」を見ても明らかなように、私が住んでいる岐阜県の美濃地方の平野部は、落葉広葉樹林帯と常緑広葉樹林帯の両勢力の境目に当たる地域です。 左の写真は、岐阜市のシンボル金華山と岐阜城です。(河岸のホテルは十八楼、その下の川は長良川で、赤い屋根の鵜飼い見物の屋形船が浮かんでいます。) 金華山は、湿気の多い谷筋はは照葉樹が多く、乾燥している尾根筋は、落葉樹が多くなっています。さらに、針葉樹も適度に混ざっており、3つの樹林が混在する緑豊かな山です。(撮影日 06/05/21 都ホテル横の長良川北岸から) |
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同じく、別の角度からの春の金華山です。 濃い緑は針葉樹林、薄い緑は落葉広葉樹林、そして黄色い緑が黄金色の花を咲かせつつある照葉樹林のツブラジイです。湿気の多い谷筋に照葉樹林が多いことが分かります。 (撮影日 07/05/12 大縄場大橋の上から) |
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初冬の金華山。 上の写真より少し西側から撮影しています。 写真中の白の直下の峰には、紅葉した樹木はあまり見られません。 反対に展望台の下の峰の半分は紅葉した樹木です。 照葉樹林と落葉広葉樹林の分布がよく分かります。 (撮影日 06/12/10 忠節橋東の北岸から) |
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上と同じく初冬の金華山の頂上から中腹にかけて。 展望台から下の峰には紅葉した落葉広葉樹林がたくさん見られます。 夕焼け時のため、赤いコントラストが強調されています。 (撮影日 06/12/15 寺町から) ※注 撮影した2006年は、秋の冷え込みがあいまいで、通常なら11月に紅葉する金華山の木々も、12月になってもまだ落葉していませんでした。 |
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左の写真は、現在私が住んでいる岐阜市郊外にある小丘陵、船来山の南端にある、照葉樹林です。 美濃地方の平野部の代表的照葉樹である、ツブラジイの花が咲いて、山が黄色くもこもこと盛り上がっています。(東南の方角から、丘陵の南端部を撮影) このような平野部の照葉樹林は、普通は長い歴史の間にことごとく切られてしまい、昔のままの姿をとどめているのは、わずかです。 この小丘陵のこの部分には、寺と神社があって、その特別なエリアとして、伐採を免れました。 (撮影日 06/05/14) |
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左の写真は、岐阜市中心部(名鉄岐阜駅から徒歩10分)にある溝旗神社の社叢です。 美濃地方の平野部の神社の社叢は、杉などの針葉樹の他、照葉樹と落葉広葉樹の混合林が多く見られます。 この神社は私の父母が結婚式を挙げた神社で、私はこの近くで成人まで過ごしました。 どこの神社にもあるように、鳥居の奥にの左手には、手水場があります。今は水道水ですが、昔は湧き水でした。それを示す、水がたまる小さな池の遺構もあります。今でもなんとなくじめっとしています。(これは方言かな?湿っぽいことです。) (撮影日 06/05/27) |
神社の社叢(鎮守の森)は、平野に水田や都市が広がる前の、日本の原風景の名残を示しています。 1990年代になって、鎮守の森に関する研究が広がりました。 2002年には、社叢学会が誕生しました。鎮守の森を始めとする社寺林などを、歴史学、民俗学、地理学、植物学、文化人類学などの研究者が、それぞれの学問の垣根を取り払って、いろいろな視点から研究しようと言う学会です。 ※同会のサイトはこちらです。 【追記】上の写真の溝旗神社のことについては、06/07/16に「なんだこりゃ 少年時代・学生時代 鎮守の森」で、祭礼等について記述しました。 |
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| 熊野詣が日本人のアイデンティティとどう関わり合うか |
| 熊野古道の世界文化遺産化が意味するもの |
熊野古道は、自然遺産ではありません。 自然を舞台としている文化遺産です。 それが世界遺産に登録されてことについて、金峯山修験本宗総本山金峯山寺執行長の田中利典さんは、その意義について、修験道の復興と、自然環境保護の2点を指摘されています。 自然環境保護についての意見の引用です。(例によって、行間の調節、太字等は引用者が施しました。)
これで、長く長く連載しました、「熊野古道ちょこっと探検記」をすべて終わります。 家族のずっこけ旅行記と言いたい放題のエッセイにつきあってくださってありがとうございました。 |
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