2004年7月18日(日)〜19日(月)の旅行記 テーマ「豊かな自然、そして・・・恐怖の樹海」
妻N、次男Y、3男Dと4人で、富士山麓の青木ヶ原樹海へ行ってきました。これはその探検記です。
富士・青木ヶ原樹海探検記1
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@山梨県は素晴らしい 7月29日掲載
A青木ヶ原樹海とは何?どこにある? 7月29日掲載
B青木ヶ原樹海といえば、やはり自殺名所 7月31日掲載
Cいざ樹海へ 8月 8日掲載
D風穴・氷穴・竜宮穴・コウモリ穴 8月 8日掲載
E樹海で思うこと−終わりに− 8月15日掲載

@ 山梨県は素晴らしい                    <目次>へ戻る
「今年度は次男Yも3男Dも受験だから、夏休みの旅行は、1泊で近場ということにしよう。どこか行きたいところはないか?」
Y 「山梨県に行って、ブドウとモモをたらふく食べよう。」
「温泉にも入りたい。」
「また富士山もみたいね。夏の富士山もいいかな。」
 
 いつもはもめる旅行地選びですが、今回は意外とあっさり決まりました。定番のグルメと温泉です。
 しかし、これでは面白くありません。
  
「これだけでは面白くないし、第一、1泊2日で山梨県に出かけて、モモ・ブドウと温泉ではもったいない。」
「他にいいところある?」
「武田信玄とか」
「今回は、歴史はやめて、自然で行こう。青木ヶ原樹海探検っていうのはどうか。」
「樹海って、あの樹海?」
 どうやら、子どもたちは、樹海の意味を知っているようです。ただの自然散策ではありません。
「森林浴みたいなもんね。」
 ちょっと違う気もするけど・・・・、まぁいいか。

 
 甲府盆地の周りの扇状地は、一面のブドウ畑・モモ畑です。これでもかこれでもかと広がっています。
 モモ狩り、ブドウ狩りができる農園も、それこそ数え切れないくらいあります。
 そのひとつに行きました。
 「モモ食べ放題お一人様1600円」です。
 
「今日の昼ご飯は、モモです。皆の衆、ぬかりなく食べなさい。」
「さっきの説明では、高いところのモモがおいしいそうよ。脚立脚立。」
「でもさー、1600円分はちょっとえらいんじゃない。」
「ええぃ、ひるんではだめだ。突撃。」
熟しておいしそうなモモ、何もしなくてもひとりでに落ちる。 高いところのモモがおいしいという説明があり、一生懸命高いところのモモをねらう。
 これで、2500円ということは、「食べ放題1600円」分の元を取るには、この大きさのモモを10個分食べなければなりません。

 実はもぎ取っているモモは、これよりもずいぶんと小さく、計算上、15個以上食べないと元が取れません。

 いくら昼食がわりでも無理です。
 でも、 おいしければ、いいのです。
ついに脚立登場。

 係の人に聞いてみました。 
「さっきからモモが自然にぼとぼと落ちていますが、もったいない気がしますが・・・。」
「落ちるくらい熟したモモでないと、もぎ取っておいしく召し上がって頂くわけにはいきません。営業的なことをいいますと、ブドウ園よりモモ園の方が、リスクは大きいです。ブドウは、一粒腐っても一粒だけ取り除いても出荷できますが、モモはそうはいきません。」
「シーズンはいつまで続くのですか」
「今は、白鳳のシーズンですが、品種によって収穫時期が違いますから、収穫時期のずれを利用して、ずっと営業するというわけです。ただし、お盆すぎると、端境期が生じて、いつでもモモ狩りができるというわけにはいかなくなります。
 
 納得です。

 ホテルは、河口湖の湖畔、富士の眺望が素晴らしいサニーデ・ビレッジというところにとまりました。

 なんでも、明治になって最初に河口湖畔に別荘を建てたのが元薩摩藩主の島津家だそうで、その別荘の跡地に建ったホテルだそうです。

 したがって、眺望は抜群です。下の写真の富士山が、部屋からも、食堂からも、露天風呂からも見ることができます。
河口湖の北側の湖畔から眺めた夏の富士山。
富士山三昧です。  

A 青木ヶ原樹海とは何?どこにある?      <目次>へ戻る
 
富士山を北側(山梨県側)から見ています。
さて、この旅行記の本題は、モモでもブドウでもありません。
 青木ヶ原樹海です。

 青木ヶ原樹海というのは、富士山の北麓にあります。
 上の河口湖北側の湖畔からの写真では、右手の一帯に位置します。
 
 右の写真は、青木ヶ原樹海がある山梨県南都留(つる)郡鳴沢(なるさわ)村のなるさわ富士山博物館にあるパノラマの一部です。
 
 富士山とその周囲のパノラマで、写真は富士山を北側(山梨県側)から見た写真です。

 青木ヶ原樹海のある地域は、青木ヶ原溶岩流の上に形成されています。 

 この溶岩は、864(貞観6年、弘仁・貞観文化の貞観です)年 に富士山の測火山であった長尾山から噴出したものです。
 その時の噴火の前までは、今の西湖と精進湖は一つの湖につながっていて、セノ海と呼ばれていましたが、この溶岩流がその大半を埋め尽くし、二つの湖ができあがりました。

 なるさわ富士山博物館には、固まった溶岩の観察室が設けられています。
 この溶岩は、玄武岩質の流れやすい溶岩流です。右側の写真は溶岩樹型です。
 溶岩流に巻き込まれた樹木が溶岩の熱で焼失し、そのあとに残った空洞が、奇妙な溶岩樹型を残しています。
富士山博物館の観察室前の溶岩。観察室といってもガラスを通してただ見るだけのおおらかさ。 昔の人が作ったコインではありません。溶岩と焼失した樹木が残した溶岩樹型です。
 ※なるさわ富士山博物館の案内はこちらです。 

 青木ヶ原樹海は、この溶岩の上に形成された原生林です。
 鳴沢村と上九一色村(あのオームの本拠地があった所)にまたがって面積はおよそ25平方キロメートル。
 モミ・ツガ・ブナなど樹齢300年を超す樹木が生い茂り、解説によれば「昼なお暗いうっそうとした」森林です。遠くからこの一帯を眺めると緑色の海のように見えることから、青木ヶ原樹海と呼ばれてきました。

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